月: 2009年1月

安積開拓の中心人物である中條政恒はもちろん、開拓所の県官立岩一郎・石井貞廉、時の福島県令山吉盛典はいずれも米沢士族出身であり、安積開拓には米沢藩士族が大きく関わっていました。 1883年(明治16年)には移住開墾人として […]
戊辰戦争に敗れ、悲惨な落城を迎えた会津藩士族は、藩主松平容保の子容大とともに青森斗南に移封させられたが、想像を絶する厳寒と過酷な生活によりやむなく会津若松に帰郷しました。 明治14年に政府勧奨により入植しましたが、途中三 […]
明治13年に政府勧奨により、入植開始。 廣谷原(東原、中原、西原)には高知開墾社が71戸,山田原(多田野町)の20戸と赤坂(逢瀬町)の5戸は高知協力組が入植し開墾に従事しました。廣谷原は東西に細長く、西南側は高知藩、東北 […]

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開成山大神宮(かいせいざんだいじんぐう)は「東北のお伊勢様」と呼ばれ、中條政恒が開成山一帯の開拓を進めて間もなく、遙拝所(ようはいじょ:ご神体の無い神社)の設計をしたことに始まります。 1874年(明治7年)に社殿・拝殿 […]
1880年(明治13年)に政府勧奨により、今井鉄太郎・坪内元興・仙台吉衛の3人が先発隊として移住。翌14年には鳥取の士族69戸が、廣谷原に入植しました。ここには郷里の宇倍神社の分霊を祀っています。 また、大槻原には明治7 […]