カテゴリー: 安積開拓藩士に触れよう

◆二本松藩に見る開拓の軌跡 1/8/2009 ◆久留米藩に見る開拓の軌跡(北久留米) 1/9/2009 ◆久留米藩に見る開拓の軌跡(南久留米) 1/12/2009 ◆棚倉藩に見る開拓の軌跡 1/12/2009 ◆岡山藩に […]
明治15年5月政府勧奨により中牛庭原(安積町)に15戸が入植。翌16年に1戸、更に17年にも1戸の計18戸が入植しました。松山士族は安積の地で初めて種甘藷(サツマイモ)の栽培を成功させるなど、農作物の栽培方法に優れていま […]
安積開拓の中心人物である中條政恒はもちろん、開拓所の県官立岩一郎・石井貞廉、時の福島県令山吉盛典はいずれも米沢士族出身であり、安積開拓には米沢藩士族が大きく関わっていました。 1883年(明治16年)には移住開墾人として […]
戊辰戦争に敗れ、悲惨な落城を迎えた会津藩士族は、藩主松平容保の子容大とともに青森斗南に移封させられたが、想像を絶する厳寒と過酷な生活によりやむなく会津若松に帰郷しました。 明治14年に政府勧奨により入植しましたが、途中三 […]
明治13年に政府勧奨により、入植開始。 廣谷原(東原、中原、西原)には高知開墾社が71戸,山田原(多田野町)の20戸と赤坂(逢瀬町)の5戸は高知協力組が入植し開墾に従事しました。廣谷原は東西に細長く、西南側は高知藩、東北 […]