土佐藩に見る開拓の軌跡

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明治13年に政府勧奨により、入植開始。
廣谷原(東原、中原、西原)には高知開墾社が71戸,山田原(多田野町)の20戸と赤坂(逢瀬町)の5戸は高知協力組が入植し開墾に従事しました。廣谷原は東西に細長く、西南側は高知藩、東北側には鳥取藩が移住しました。ちなみに東原に20戸・中原に25戸・西原に26戸が分散して入植しました。
明治24年6月には廣谷原(富田町)に食物・穀物を司る神の豊受大御神を祀る「豊受神社」(とようけじんじゃ)を奉遷しました。
山田原では、移住してきた高知士族たちが菅原道真を奉斎し、隣の北沢では八幡太郎を祀っていたことから、八幡と菅原の一文字ずつとって合祀し、八菅神社(やすがじんじゃ)を祀りました。
※「豊受神社(とようけじんじゃ)」は2016年(平成28年)4月19日(火)、文化庁により開催された「日本遺産審査委員会」の審議を経て、「日本遺産」に認定された37の構成文化財の一つです。
追記——————————————————————————————-

※「八菅神社(はちすがじんじゃ)」は2016年(平成28年)4月19日(火)、文化庁により開催された「日本遺産審査委員会」の審議を経て、「日本遺産」に認定された37の構成文化財の一つです。

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↑豊受神社入り口。郡山市喜久田町松ヶ作
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↑社地特買記念碑。 昭和8年10月17日建立。西原氏子申。
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↑豊受神社改築記念碑。
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↑鳥居。
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↑石段新築記念碑。昭和34年9月。皇太子殿下御成□記念とある。
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↑何かの記念碑のようですが、読み取れませんでした。
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↑豊受神社社殿境内整備改修工事記念碑。平成5年9月28日。後ろには改修費を寄付された方の芳名が記されている。
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↑天照皇大神宮。 昭和32年11月3日建立。 昭和32年1月27日伊勢神宮参拝記念とある。
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↑廣の原 松の葉を切り拓き百年の 碑に眠る土佐士族。昭和62年9月28日。長尾一重作。
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↑豊受大神百年記念之碑。昭和62年9月6日建立。
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↑参道。
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↑拝殿。
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↑拝殿内。
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↑拝殿の屋根。外削ぎです。

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↑八管神社社号標。昭和18年5月建立。県道6号郡山湖南線に面している。
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↑民家を抜けて続く参道。
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↑八管神社入り口。郡山市逢瀬町
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↑扁額。
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↑神社改築記念碑。
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↑急な斜面を登る石段。
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↑拝殿。トタンで囲まれている。
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↑拝殿内。
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↑拝殿。

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↑平成13年、廣谷原にある鳥取藩士の宇倍神社では、宇倍神社再建記念と鳥取・高知両県移住百二十年記念式典が執り行われました。
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↑鳥取・高知両県移住百二十年記念植樹には高知市の花として「ヤブツバキ」が植えられています。平成13年10月10日。

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↑廣谷原 旧土佐藩士族入植者の碑。
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↑説明文。
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↑郡山商工会議所青年部により平成6年10月吉日建立。

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