三穂田町に見る今の安積疏水1(郡山市)

三穂田22
三穂田地区には安積疏水灌漑排水事業事業として新設された多田野第2頭首工がある。
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逢瀬町河内に見る今の安積疏水1(郡山市)

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逢瀬町夏出(なついで)から隧道にて河内(こうず)地区まで抜ける間、何度か地表へ顔を出す安積疏水。豊富な水量で勢いよく流れていく。
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戸ノ口に見る今の安積疏水(猪苗代町・会津若松市)

十六橋1
1879年(明治12年)安積疏水事業の開削は、オランダの土木技師ファン・ドールンにより猪苗代湖の水位を調整するため、安積疏水の取水口とは反対側にある日橋川(にっぱしがわの「十六橋水門」(じゅうろっきょうすいもん)の建設から開始されました。
ファン・ドールンは会津地方から日本海に流れる日橋川の河床を下げることにより、猪苗代湖の水位を保持しつつ、戸ノ口堰(とのくちせき・布藤堰(ふとうせき)の取水量の確保も改善しています。1880年(明治13年)の成工式には6・7万人の住民が集まったそうです。
完成当時の16径間の石造アーチ橋は、1914年(大正3年)に猪苗代水力電気(現東京電力)により水門が電動式ストーニーゲートに改築され、制水門と橋梁が分離されました。その後、取水量の増大が図られ、1941年(昭和16年)の新たな小石浜取水口の完成により、「十六橋水門」の役割は低減しました。現在は増水時のみ開閉されている。
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安積町牛庭~終点に見る今の安積疏水(郡山市)

安積町牛庭12
1879年(明治12年)から猪苗代湖の湖水を安積平野へ引く安積疏水は、国の直轄事業として進められ、わずか3年後の1882年(明治15年)に完成しました。
その後、何度か改修工事が加えられながら、現在も郡山市・須賀川市の灌漑用水として役立っています。郡山南部地区の安積疏水はU字溝の幅も狭く、農業用水路としてのみ通じ、安積町の荒池へ注ぎその役割を終えます。
安積疏水と思わせるものは何もなく、窮屈な路をたどり長い旅路に別れを告げます。牛庭原には通水以来125度目の冬が訪れています。
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三穂田町に見る今の安積疏水2(郡山市)

三穂田67
猪苗代湖水を農業水利として利用する計画案は小林久敬によって進言され、その後、中條政恒(ちゅうじょうまさつね)の働きによって、大久保利通内務卿を通じ国の直轄事業として1879年(明治12年)に工事が開始されました。
3年後の1882年(明治15年)8月10日には岩瀬郡仁井田村まで試験通水を実施されています。
また、1878年(明治11年)から明治政府の士族授産と殖産興業の方針のもの、旧士族のうち全国の9藩から約2000人が郡山に移り住み安積開拓が始まりました。今でも郡山の各地に残る入植者の碑は当時の偲ばせてくれます。
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