安積町牛庭~終点に見る今の安積疏水(郡山市)

安積町牛庭12
1879年(明治12年)から猪苗代湖の湖水を安積平野へ引く安積疏水は、国の直轄事業として進められ、わずか3年後の1882年(明治15年)に完成しました。
その後、何度か改修工事が加えられながら、現在も郡山市・須賀川市の灌漑用水として役立っています。郡山南部地区の安積疏水はU字溝の幅も狭く、農業用水路としてのみ通じ、安積町の荒池へ注ぎその役割を終えます。
安積疏水と思わせるものは何もなく、窮屈な路をたどり長い旅路に別れを告げます。牛庭原には通水以来125度目の冬が訪れています。

安積町牛庭1
↑上の池側から安積疏水の下流を望む。

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安積町牛庭2
↑上流「上の池」側の安積疏水を望む。
安積町牛庭3
↑民家の間を抜けてる安積疏水。(ちょっと!ゴミが入っちゃってます!!)

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安積町牛庭4
↑茂みの中に年代物の分水工がある。(大分古いらしく、錆びだらけ)
安積町牛庭5
↑更に下流へ流れる安積疏水。
安積町牛庭6
↑分水工より上流を望む。(何だか随分うらぶれた感じです)
安積町牛庭8
↑民家の庭先を蛇行しながら流れていきます。
安積町牛庭9
↑山沿いから田んぼを抜けて進みます。
安積町牛庭10
↑大分南下しました。(上流のような勢いも幅もなく、本当に寂しい限りだ)
安積町牛庭11
↑安積疏水の貫禄が全く見られません。
安積町牛庭12
↑これは!牛庭原  旧松山藩士族入植者の碑。(何と!安積疏水の真上に建っています)
安積町牛庭13
1993年(平成5年)10月 郡山商工会議所青年部による建立です。

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安積町牛庭14
↑さらに下流へ進んでいきます。
安積町牛庭15
↑東北自動車道の上を横切ります。(橋に大きく安積疏水と書いてあってもいいのになぁ~)
安積町牛庭17
↑これが安積疏水と知っている人はどの位いるのだろう?
安積町牛庭1
↑道路に沿って細々と進みます。
安積町牛庭2
↑小さな取水工が続きます。
安積町牛庭3
↑突然、大森集塵機が現れます。
安積町牛庭4
↑製造年月は平成12年3月。
安積町牛庭5
↑疏水の上が真新しい網がで覆われています。
安積町牛庭6
↑藪の中へ消えていきます。安積疏水土地改良区の方の話では、明治時代の安積疏水の終点はこの辺だったそうです。それを表す表示は全くないとのことです。(何とも残念でたまりません!)

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安積町牛庭7
↑切り開かれた先には室内ゴルフ練習場がある。ただU字溝となって横切っていく。
安積町牛庭8
↑最終地点「荒池」に到着。養鯉場となっているようだ。
安積町牛庭9
↑荒池の北側を通る用水路を結ぶ穴。安積疏水とは関係ありません。この水路は土の中に埋もれているようだ。。
安積町牛庭10
↑用水路の頂上のマンホールには郡山市のマーク。
安積町牛庭11
↑安積疏水は荒池に沿って流れていきます。
安積町牛庭12
↑荒池へ流れ込む前の最終コーナー。
安積町牛庭13
↑斜面を下りたら先にあるのは「荒池」。
安積町牛庭14
↑取水工。池から流れていく水路と交差している。
安積町牛庭20
↑取水工へ流れこむ安積疏水を望む。
安積町牛庭15
↑前方が荒池。注ぐ溝は細い。
安積町牛庭17
↑隣接する東屋?藤棚か?
安積町牛庭16
↑池から流れてくる水路。幅も広いです。
安積町牛庭18
↑こちらは最終的に阿武隈川へ注ぎます。
安積町牛庭19
↑荒池の東側。養鯉場の設備が見える。
安積町牛庭21
↑この写真を撮った直後、にわか雨が降り出しました。
「明治時代の偉業!安積疏水」を見たくて訪ね歩き、たどり着いたこの最終地点はあまりにも寂しく、猪苗代湖に建つ上戸頭首工を見た時の感動とはまったく正反対のものとなりました。偉業は今も郡山を含む周辺の灌漑用水として活躍し続けていますが、何だか釈然としない気持ちが残ったままこの場を後にしました。(空は代わりに泣いてくれたのだと思います) 完

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安積地図改
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《参考文献》
◇「安積疏水百年史」 発行:安積疏水土地改良区
◇「郡山市水道史」 発行:郡山市水道局
◇「誰にでもわかる安積開拓の話」 発行:歴史春秋社
◇「みずのみち 安積疏水と郡山の発展」 発行:歴史春秋社
◇「郡山市水道90年のあゆみ」 発行:郡山市水道局
◇「安積開拓120年記念 先人の夢に逢う」 発行:郡山市 ほか
◇「国営新安積土地改良事業」 発行:東北農政局 新安積農業水利事業所
◇「安積疏水125年の水しるべ」 発行:安積疏水土地改良区

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