
新安積疏水豊永幹線は仁井田幹線から分水して、郡山市安積町上牛庭を通り安積町成田田向へ流れています。(撮影:12/5/2016、3/20/2009)

↑杉に囲まれた森の中から出てきます。

↑サイフォン出口は、結構な深さがあります。

↑茂みに囲まれて、周りからは見えません。

↑真っすぐ東へ進みます。

↑うっそうとした杉林が続きます。

↑キレイにカーブを描いて進みます。

↑前方の倒木の先は杉林の終わりです。

↑振り返って、うっそうとした杉林を眺めます。薄気味悪い程の静寂です。

↑杉林を抜けると、前方に田んぼが広がります。

↑東へ東へと進みます。

↑振り返ると、プッツりと杉林がとぎれ田んぼが広がっている様が分かります。

↑途中、古い分水工があります。

↑疏水の幅が狭くなっています。内径910ミリメートル→620ミリメートルへ。

↑経年劣化で水路の浸食が進み、礫がムキ出しです。

↑更に先へ進みます。

サイフォンで出てきた森が小さく見えます。

↑道を超えて進みます。

↑東へと流れていきます。

↑前方の道を逆サイフォンで通ります。


↑水路の上に畑がつくられています。

↑両側の水田より高台の部分を流れていきます。

↑豊永幹線の上に、開田記念碑が建っています。

↑1965年(昭和40年)10月20日、福島県知事 木村守江謹書として。

↑新安積土地改良区理事長 相楽源一を筆頭に、関係者の名が連なります。豊永開田組合建立。

↑開田記念碑を過ぎて、再度顔を出します。

↑綺麗にカーブを描きながら流れます。


↑上流を望みます。

↑前方の東北自動車道を横断しています。



↑通常の側溝と変わらないなあ。

↑更に東へ続きます。
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