安積歴史博物館(郡山市)

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1884年(明治17年)9月11日に福島に開校した「福島中学校」が、1887年(明治20年)に「福島県尋常中学校」と校名変更し、明治22年(1889)3月に安積開拓の桑野村に移転し新築開校しました。
移転に際しては県会議員の建議が県会で可決されたことや、農民が学校用地を寄付など桑野村の協力が大きく関わっていたとのことです。
1948年(昭和23年)4月1日より「福島県立安積高等学校」と改称し現在に至ります。(撮影:8/30/2017)

講堂。パイプ椅子がならび現在も安高生の集会に使用されているようだ。

↑500名ほど入るらしい。ステージを望む。

↑当時はローソクが灯されていたシャンデリア。洋風建築を際立たせています。

↑安積健児の象。

↑〈安積健児の象 解説〉
安積高等学校創立百周年記念事業実行委員会は、記念事業の一つとして、安積歴史博物館の正面に明治・大正・昭和を代表する「安積健児」の象を建立しました。この像は、佐藤静司氏(本校四五期卒)の製作によるもので、ここに展示しましたのは、その原画及び原型粗造です。なお、この建立については、大高善兵衛氏(本校六七期卒)の協力をいただいています。

↑「安積のニケ」

↑〈安積のニケ 解説〉
「安積のニケ」は、福島県立安積高等学校の「120周年紫旗祭」におけるテーマ「紫風堂々」を形象化するモニュメントとして制作された。紫の風を両翼にはらむ姿は、「文武両道」の安積高校に勝利をもたらす女神としてふさわしい。
2004年 発泡スチロール・石膏 高さ 3.28m

↑通路の照明も西洋風です。

↑二階のベランダから正門を望みます。

↑東を望む。ここはかつて二本松藩士が開拓で入植した地です。

↑西を望む。現在使用されている校舎が見えます。

↑安積健児の象。

↑この象は明治大正昭和の三代にわたりこの学校で学んだ安積健児の風貌を表現したのであり本校創立百周年の記念として建立したものである
 昭和五十九年九月十一日
福島県立安積高等学校設立百周年記念事業委員会

↑「国重要文化財 旧福島県尋常中学校本館」碑及び案内板と日本遺産の案内板。

↑〈国重要文化財〉 旧・福島県尋常中学校本館の説明文。
  平成26年9月公益財団法人 安積歴史博物館
経済産業省が、平成19年度及び20年度において「近代化産業遺産」として「近代化産業遺産群33」の一つに「安積歴史博物館」が選ばれています。

↑未来を拓いた「一本の水路」ー大久保利通“最期の夢”と開拓者の軌跡 郡山・猪苗代ーで、旧福島県尋常中学校本館は構成文化財に選ばれています。

↑正門に立つ「国指定重要文化財 旧福島尋常中学校本館」

↑「国指定重要文化財 旧福島尋常中学校本館」
昭和五十二年六月二十七日指定
 木造・総二階建・棧瓦葺の本館は、明治二十二年一県に一つの尋常中学校設置の原則によって建てられた学校建築です。
 これ以前、福島県内には福島・若松・平に各々中学校が設置されていました。この三校が合併し、当時「桑野村」であった現在地に移転新築しました。
 内部は中央に廊下を設け、その両側に教室を配する「中廊下」式で、一階は職員室、事務室等の外に特別教室を配し、二階に一般教室と講堂を配しています。
 明治二十年代の少ない学校建築遺例の内でも優れたものの一つです。
                       郡山教育委員会

↑併設する「福島県立安積高等学校」の銘板 1948年(昭和23年)4月1日より「福島県立安積高等学校」と改称しています。

↑福島県立安積高等学校の校章と福島県尋常中学校の校章。

↑福島県尋常中学校の校章。

↑福島県立安積高等学校の校章

↑八角の柱を使い正面に突き出した玄関ポーチとバルコニーは、明治時代の洋風建築です。

↑正面の屋根には鬼瓦が飾られています。

↑校舎の四隅にも鬼瓦が飾られています。

↑東側から望みます。歴史の遺構としての趣がありますね。

↑西側から望みます。

↑南面も綺麗に整備されています。