安積疏水橋を五百川から望む

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安積疏水通水当時、五百川架樋(ごひゃくがわかけとい)は石造りの眼鏡橋(めがねばし)として建築されました。
工事を手がけたのは安積疏水の工事責任者、南一郎平(みなみ いちろべえ)と同郷(大分県)の大石工であった児島組。児島佐左衛門を棟梁とし、石組による「眼鏡橋」つくりの名人でした。ただし、石樋部分は耐久性に優れておらず、度々改修工事が行われたようです。1931年(昭和6年)からの大規模改修事業の安積疏水県営第一期農業水利改良事業によって、コンクリートによる吹付け補修工事が行われ、熱海鉄樋は一新されました。
その後、老朽化が激しくなった疏水橋は、国営安積疏水土地改良事業により1977年(昭和52年)、現在の青い安積疏水橋にとして生まれ変わりました。

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↑真下から安積疏水橋を望みます。大きいね!
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↑今でも眼鏡橋を支えた石造りの土台が綺麗に残っています。サイズは約9メートル×約1メートルの長方形。その周りを固めていたコンクリートはボコボコです。
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↑五百川から見る安積疏水橋。視点が高いので、旧49号線から見るより迫力があります。
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↑ここは熱海沈砂槽があった場所。熱海鉄樋時代に活躍していました。鉄樋の左に水門が有り五百川に放水していました。写真の中央には、現在の青い安積疏水橋が見えます。
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コメント&トラックバック

「疏水橋」の銘版がはめ込まれた記念碑の所までは行ったことがありましたが、
石橋時代の遺構が残っていたとは存じませんでした。
河原までどこから、どのように降りたのでしょうか?
宜しければご教授くださいませ。

2016年10月26日 8:01 PM posted by TUKA

行きは、温泉旅館八景園へ行く途中の広い砂利の駐車場から五百川へ下りました。川沿い又は川の中を歩いてたどり着きました。
帰りは、川から水路橋の真下の斜面を登り、土台と薮との隙間から出ました。

2016年11月5日 8:43 AM posted by admin

回答ありがとうございます。
熱海頭首工のすぐ下流辺りから降りたのでしたら、
水路橋まで1km以上河原を歩くことになりそうですね・・・。
最後に登った斜面から降りられないか、考えてみます。

2016年11月7日 9:00 PM posted by TUKA

お蔭様で、行って見てくることができました。
疏水橋の脇から河原に降りたのですが、水量が多くて石橋跡はほとんど水没してましたね。
対岸の崖にも僅かに石積みが残ってたのも発見。
明治の遺構に触れることができて感動です。
情報&アドバイス、ありがとうございました。

2017年4月24日 9:05 PM posted by TUKA

現在も活躍し続けている安積疏水はどんどん改修が進み、当時の遺構に触れる機会はとても少なくなっています。
当時を偲ばせる建造物だけでも大切にしたいものですね。

2017年4月29日 8:41 AM posted by admin