安積疏水神社(あさかそすいじんじゃ)

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安積疏水神社は1879年(明治12年)、疏水開削工事における作業の安全・事業の早期竣工を祈念してめがね橋のたもと建てられました。豊受大御神(とようけおおみかみ)・水波能売神(みづはのめのみこと)が奉祀されており、疏水工事へ向かう作業員はその日の安全を祈ったそうです。1909年(明治42年)には、地元の疏水開削関係者が中心となり石造りの祠が修復されました。
その後、疏水神社の再建運動が起こり、疏水創業における貢献者の大久保利通・松方正義・伊藤博文の三公の霊を合祀した盛大な神社落成式が臨時大祭として、1935年(昭和10年)4月29日に挙行されました。
現在の熱海頭首工敷地内へは、県道の切払仲井線(きりはらいなかいせん)通過にともない1975年(昭和50年)に神社・記念碑とともに遷宮移転されています。(撮影:5/21/2008)


↑安積疏水神社の社号。1926年(大正15年)9月26日建立。


↑安積疏水神社の全景。
現在は、「安積疏水熱海頭首工管理事務所」敷地内の南側にあるため、建物の前を通らないとたどり着けません。


↑立派な祠宮。
当初は石造りの祠であったようです。


↑祠宮の周りには記念碑が建ちます。


↑一番左は、佐藤鐵彌君紀功碑。元安積疏水普通水利組合書記の記念碑です。大正12年9月
↑右隣は、社殿造營碑。碑文は当時の安積疏水普通水利組合常設委員であった渡辺信任の謹書。「神明希くは照鑑あれ」と結んでいる。昭和10年4月29日。


↑祠の左側には「三社功績碑」が建つ。
新安積疏水の工事を請け負った、鹿島建設工業株式會社・鐵道工業株式會社・株式會社間組の功績をしるしています。
昭和24年10月1日 通水記念日 安積疏水普通水利組合常設委員 渡辺信任謹記
※新安積疏水開鑿事業は戦争で一時中止になりましたが、1946年(昭和21年)10月5日安積疏水神社境内において2度目の起工式を行い、再開されました。1950年(昭和25年)4月29日の天皇誕生日には、三社功績碑の除幕式が行われています。


↑水路監守人として疏水路の管理に生涯をささげた「渡邊靏次翁之頌徳碑」
・碑の製作/郡山市の織田平作氏が請負う
・題額/駐日オランダ特命大使
・碑文/理事長の渡邊信任が揮毫
高さ3メートル 幅90センチ 1955年(昭和30年)5月13日建立。

※渡邊靏次は、1865年(慶応元年)6月10日に夏井(なついで)字舘下24番地で生まれました。1878年(明治11年)11月、13才にしてファンドールンの実地調査のときに助手として参加しています。
1983年(明治16年)には夏出区川筋取締りを命ぜられ、1951年(昭和26年)8月27日在職中に亡くなるまで70余年水を守り続けました。
口ぐせは「水門番は欲得ぬきでやっている。安積野田まわり(灌漑)を良くするためだ」で、11キロメートルもの水路区間を徒歩で見回り続けました。

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