↑「五百川の源流 八衢の清水(やちまたのしみず)」碑。 二十五キロながれ阿武隈川に合流。こちらも熱海史談会の建立。
↑手前にあった「中山の一里塚」と同じ、平成七年七月十五日建立。
↑八衢とは神代の昔猿田彦大神が天孫 瓊瓊杵命が天八衢に御待ちし御迎え申し上げた地名と言われる。
↑到着!ここが楊枝峠頂上691メートルです。特に頂上の表示は見当たりません。
↑振り返れば、「五百川の源流 八衢の清水(やちまたのしみず)」碑が近くに見えます。
↑朽ちて分かりませんが、ピンク色のヒモが付いた何かの表示があったようです。
↑分水嶺を過ぎれば猪苗代町に入ります。
↑つづら折りの下り坂が見えます。
↑一部、コンクリートで舗装された曲がり角が見えます。
↑ワシワシと下ります。凸凹の荒れた道が続きます。
↑倒木も見受けられます。
↑開けた前方に何かの碑が見えます。
↑とても立派な!楊枝一里塚の碑。平成二十八年九月吉日。 所有者/管理者 佐藤忠永/忠雄。
↑猪苗代町指定史跡 楊枝一里塚案内看板。北側の塚、「南側の塚共こんもりと昔の姿をとどめており、陸上交通史上貴重なものである」と記載されている。看板の後ろに見えるのが南側の塚です。
↑こちらが北側の塚です。
↑真ん中の道を挟んで、両側に2つの塚が分かります。(振り返って)
↑流れた雨水でえぐれた下り坂が続きます。
↑傾斜が緩やかなになり、視界が開けてきました。
↑両脇が杉林の中を進みます。
↑森から視界が開け、空が見えます。
↑敷地跡なのか、崩れた石垣が見られます。
↑「よなき石」と、伐採した杉の木の根本部分を利用した「よなき石」案内碑。
↑後ろに回っても、情報は特に見当たりません。
↑台風による沢からの大水によって、道がえぐれてしまったようです。
↑ヒューム管がむき出しになっています。土嚢も積んであり、ここは何度も水害で崩れているようです。
↑二股となりますが、左の本線を進みます。右は以前あった楊枝部落お墓への道です。
↑更に先へ進みます。
↑この先で、杉林を抜けます。