岡山藩に見る開拓の軌跡

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1880年(明治13年)12月福島県勧奨により旧丸守村に10戸開墾を許可されました。しかし入植したのは4家族ほどであったようです。岡山士族が入植した辺りは「備前開墾」と呼ばれていまいました。
その岡山開拓の中心であった小松健太郎は勤勉で、開拓に取り組む真摯な姿勢は関係者の間でも高く評価されていたようです。更に、健太郎は酪農も手がけており、牛乳を飲んで口の周りを白くしていたと、現地の逸話として残っているそうです。
明治14年の明治天皇が東北地方御順幸の際は、お供をして猪苗代湖の疏水口まで見送りしたとのことです。
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棚倉藩に見る開拓の軌跡

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1882年(明治14年)1月、政府の勧奨により入植を開始し,対面原(安子ヶ島)に5戸・堀之内10戸・堀切前4戸・見陣原に7戸入植しました。
1885年(明治17年)には郷里の三柱神社(みはしらじんじゃ)を祀りました。
※この三柱神社境内には、この地に唯一入植した会津藩 春日茂の功労碑があります。
※「三柱神社(みはしらじんじゃ)」は2016年(平成28年)4月19日(火)、文化庁により開催された「日本遺産審査委員会」の審議を経て、「日本遺産」に認定された37の構成文化財の一つです。
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久留米藩に見る開拓の軌跡(南久留米)

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●1878年(明治11年)11月11日、政府の勧奨により入植第一陣として久留米藩士族が郡山村に到着。その後、大蔵壇原に40戸入植。対面原(喜久田・日和田)には101戸が入植しました。
●1880年(明治13年)11月、大蔵壇原に真宗本願寺派説教所を上棟。
●1882年(明治15年)9月、大蔵
壇原と対面原(喜久田)に故郷の水天宮分霊を奉祀し水天宮を祀る。また、対面原(日和田)には金刀比羅神社が守護神として祀られている。
※「久留米水天宮(くるめすいてんぐう)」は2016年(平成28年)4月19日(火)、文化庁により開催された「日本遺産審査委員会」の審議を経て、「日本遺産」に認定された37の構成文化財の一つです。
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久留米藩に見る開拓の軌跡(北久留米)

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●1878年(明治11年)11月11日、政府の勧奨により入植第一陣として久留米藩士族が郡山村に到着。その後、大蔵壇原に40戸入植。対面原(喜久田・日和田)には101戸が入植しました。
●1880年(明治13年)11月、大蔵壇原に真宗本願寺派説教所を上棟。
●1882年(明治15年)9月、大蔵壇原と対面原(喜久田)に故郷の水天宮分霊を奉祀し水天宮を祀る。また、対面原(日和田)には金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)が守護神として祀られている。
※「水天宮(すいてんぐう)」は2016年(平成28年)4月19日(火)、文化庁により開催された「日本遺産審査委員会」の審議を経て、「日本遺産」に認定された37の構成文化財の一つです。
※「金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)」は2016年(平成28年)4月19日(火)、文化庁により開催された「日本遺産審査委員会」の審議を経て、「日本遺産」に認定された37の構成文化財の一つです。
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二本松藩に見る開拓の軌跡

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1873年(明治6年)2月福島県勧奨により二本松藩士族19戸が大槻原開墾のため入植。安積野開拓の先駆けとなりました。その後、8戸入植し計28戸となり南町の開拓道路(現在の安高通り)をはさみ居住。 これとは別に、対面原(日和田)に11戸。青田原(現在の本宮市)に18戸入植。
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